イスラエルが中東のシリコンバレーとして世界から注目を浴びるまでの10年間の歩みを紐解くシリーズ

中東の小国からスタートアップ国家へ、イスラエル激動の2010年代

毎年多くのスタートアップが誕生し、世界から注目を集めているスタートアップ国家イスラエル。
日本企業によるイスラエル企業への投資やイスラエルでの法人設立など、日本とイスラエルのビジネス関係は勢いを増すばかりだ。
しかしイスラエルがこれほどまでに世界で注目されるようになったのは、比較的最近のことであることを知っている人は少ないのではないか。
本連載では、イスラエルが中東のシリコンバレーとして世界から注目を浴びるまでの、激震の10年間の歩みを紐解く。

従来のイメージから脱却し、進化を続けるイスラエル

イスラエルとは一体どんな国なのか。本記事ではイスラエルという国について改めて振り返る。

イスラエルのハイテクエリアの誕生と黎明期

現在こそ「中東のシリコンバレー」といえばイスラエル、に異を唱える者はいないだろう。しかし、それはいつ頃からの話になるのか。本記事では、1960年代のハイテクエリア創成期から現代までの流れについて紹介する。

究極の「スタートアップ・ブートキャンプ」8200部...

ほとんど天然資源を持たない小国イスラエルが、世界中のどの国よりも多くのテック系スタートアップを生み出し、国民一人当たり世界トップとなるVCを享受し、イスラエル企業が米国、中国に次ぐNASDAQ上場数を誇る理由とは。
その答えは、国のハイテクイノベーションの重要な推進力となっているイスラエル国防軍の参謀本部諜報局・8200部隊にある。

不毛の地へ豊穣をもたらすキブツ発のテクノロジー

前回記事では、イスラエルのハイテクイノベーションのコアパワーのひとつである国防軍8200部隊についてお話したが、イノベーション創出のもうひとつのキーとなるのが、集産主義的協同組合「キブツ」の存在である。今回はイスラエルにおいて「キブツ」が果たしてきた役割と、そこから生み出されるテクノロジーの2010年代の成功例を追う。

ホーリーシティのリブランド?ハイテク都市エルサレム

ハイテクとコンテンポラリーの街、商都テルアビブは中東のイノベーション・リーダーとしてその地位を確立したが、エルサレムにもハイテクエリアが存在し、今世紀に入ってから特にテクノロジーの創造、スタートアップへの投資、社会的・都市的イノベーションの促進に力が注がれたことはあまり知られていない。そんな「テクノロジーシーンの新星」エルサレムの近年の成長の様子を追う。

アラブ諸国との国交正常化とアラブ系コミュニティの躍...

2020年9月、歴史的なUAE・イスラエル間のアブラハム和平協定合意以来、イスラム教スンニ派のアラブ諸国の最重要課題がパレスチナ問題からシーア派の大国イランの軍事的脅威の封じ込めに移行したことで、その流れは少しずつ変化している。今記事ではアラブ系イスラエル人のイスラエル国内ハイテクシーンでの台頭にスポットを当てる。

アリヤーの10年間による栄華とグローバル化の新たな...

1948年のイスラエル独立宣言から2年後の1950年、イスラエル国外に住むユダヤ教徒のイスラエルへのアリヤー(移民)を認めるイスラエルの法律「帰還法」が制定された。以来現在までにイスラエルに流入した移民は330万人となるが、そのうち100万人が旧ソビエト連邦からの移民であり、人口比は約20%となる勢いである。本章では今やイスラエル国内での一大勢力となりつつある、旧ソビエト連邦からの移民に焦点を当てる。

サイバー大国イスラエルの実力

ネタニヤフ元首相は、テルアビブ大学で2011年に開催された「サイバー戦争」に関する初のカンファレンスで、イスラエルが世界のトップ5の「サイバー大国」になるという明確な目標を提案した。それから10年余りが経ち、イスラエルは現在世界中に約50社存在するサイバーセキュリテイ系ユニコーン企業のうち約1/3を輩出するという快挙を成し遂げ、世界有数のサイバー大国となった。今章ではイスラエルがどのようにしてその地位を築いたのか、またサイバーパワー戦略における信条とは何かに迫る。

対米ドルで世界トップの力を示す「イスラエル・シェケ...

前世紀の終わり頃までイスラエルでは、変動の激しい自国通貨シェケルへの信頼度の低さから家賃を米ドルベースで請求する慣行があったほど、建国以来2000年までイスラエル経済は高いインフレ率に悩まされ続けた。しかし2010年代にシェケルは米ドルに対して世界トップクラスの上昇率を記録し、世界的にも存在感を放つハードカレンシーのひとつとなった。今章では2010年代のシェケルと投資市場の動きを追う。

「陸の孤島」から大規模ハブへ

敵対するアラブ諸国に囲まれ、物流の98%が海上輸送により行われるイスラエル。地政学的には「島国」であり、陸路で移動可能な国はエジプトとヨルダンだけとなる。一方空路では、一番近いギリシャの島キプロスまで1時間、アテネまでは2時間、ローマやブダペストまで3時間半、アムステルダムやパリ、ベルリンまで5時間弱の好立地だ。2010年代にイスラエルが飛躍的な発展を記録した背景には、同時期に進んだイスラエル・ベングリオン空港の「ハブ化」も要因としてあげられる。今章ではハブ空港としての存在感を示したベン・グリオン空港と、今後の課題についてを追う。

イスラエル・ドラマが世界の人々の心を捉えた10年

これまで主に、2010年代にイスラエルで急成長した業界やハイテク部門にスポットを当ててきた。しかし勿論このような充実した期間に成長するのはテクノロジーだけではない。長く対外的には無名に等しかったイスラエルのエンタメ業界もまた、2010年代に大きくその世界的知名度とプレゼンスを増した業界である。イスラエルのテレビプロデューサーとスターたちもまた「リスクテイク」というスタートアップ国家の思考を取り入れ、「時代の先端」をそのアイデンティティの主軸とし、広く国際的に認められる結果となった。 今章ではイスラエルのエンタメ業界が世界的な成功を果たした背景を追う。

アラブの春からトランプまで、中東の政治へのソーシャ...

2010年代は、ソーシャルメディア(以下SNS)が政治やニュースメディア、社会運動といった日常生活に深く浸透した10年だった。SNSプラットフォームは日常を生きる者たちに声を与え、市民ジャーナリズムを発展させ、伝統的なメディアの主張と社会的言説との乖離を明らかにしたが、やがてその役割は陳腐化していく。今章では「アラブの春」からトランプ前米大統領のツイッターまで、SNSがイスラエルや中東社会へ引き起こした影響を振り返る。

政治的干渉を受けながら成長したイスラエルのスポーツ

屋外で過ごすことのできる時間が長い温暖な気候、ビーチが身近なためマリンスポーツが盛んであること、兵役においてマーシャルアーツが重要視されること、競争が好きな国民性などの要因により、建国以来イスラエル人にとってスポーツは重要な娯楽であり続けている。しかし一方国際舞台において、イスラエルのスポーツは2010年代においても政治的干渉を避けられない状況であった。今章では困難な状況にも関わらず、テニス選手のShahar Pe’er(シャハル・ピアー)やサッカー選手のYossi Benayoun(ヨッシ・ベナユン)といった世界的スポーツ選手を定期的に排出してきたイスラエルのスポーツ界にスポットを当てる。

イスラエルと日本が同盟パートナーとなるまでの歩み

イスラエルは建国から4年後の1952年、日本との外交関係を東アジアで初めて結んだ国となり、両国の外構樹立から今年で70周年を迎えたにも関わらず、両国は長い間極めて限定的で希薄な関係が続いていた。しかし、外交・ビジネス関係を大幅に改善することを目的に、両政府が協同する動きを見せた2014年頃から潮目が変わってきた。2014年以降の両国関係の急速な接近は、国家安全保障とサイバーセキュリティに関する一連のハイレベルな対話から、初の二国間投資協定に至るまで、両国が多くの重要な政治・経済協定を締結したことなどの歴史的な出来事により明確であるといえるだろう。かつては限定的だった二国間関係が、同盟パートナーとしての特徴をより強めたものに変化していく動きと、その背景を振り返る。